英国の著名な国際関係論、国際関係史の大家、Barry Buzanによるなぜ習近平政権の外交はますます独断的で強硬になるのか、に関する考察

(戯れに訳してみました。元記事はブログDuck of Minervaの投稿

中国の大いなる矛盾                Barry Buzan

過去10年間、中国は外見では非常にレーニン主義的に見える中国共産党と、その中国共産党の非常に成功した経済改革が作り出した資本主義社会との間の増大する(古典的な意味でマルクス主義的な)矛盾に囚われている。Jonathan Fenbyが論じたように、中国共産党は断固として永続的に権力の座にあることに執着している。しかしながら、知識、富、組織、情報と接続性が中国社会に拡散されたことにより、その社会はますます多様・多元となり、自らの意見を持ち、自らの利益のために動く意思と手段を手にしている。

そして中国共産党は、自らが理解しないしまた好んでもいないその社会に、それは正しい理解なのだが自分たちが益々脅かされていると感じている。その結果、中国の国内政治および外交は、中国共産党が感じるこの不安定性を中心的懸念として非常に密接に結び付けられている(Susan ShirkおよびDavid Shamboughの仕事を参照のこと)。そのパラノイアは、現在では国防費をも超える、国内の安全保障に中国共産党が費やす資源の投入に反映されている(Jian Zhangの議論、およびWang and Minzer, Baderを参照のこと)。

この矛盾は、中国を貧困と中国共産党自らが招いた破壊から救うことを目的とした鄧小平の改革開放路線によって築かれた。マルクス主義的政治経済路線の中核を放棄した改革開放路線の導入は、中国共産党の正当性を、大衆に繁栄をもたらすことと、過去に目を向けたナショナリズムを養うことにより「新中国」に必要不可欠な中国共産党像を作り出すことに根ざす必要性を生み出した。繁栄を大衆に拡散することは市場経済の導入のみによって可能であり、それが現在中国のどの大都市でも目にすることができる、Michael Wittが論じる中国型資本主義を生み出した。

しかし、この矛盾は今もう限界に達しようとしている。中国共産党以外の選択肢が存在しない現況と、革命への回帰や国の分裂、外国に弱さをさらけ出すことを何としても回避したい中国社会の保守主義を考えるとこの矛盾を弁証法的に解決する方法は常に二つしかなかったのである。

最初の方法は国に優先点を置く方法である。この場合、中国共産党自らが、自分が築き上げた資本主義社会により適合する多元主義的方向性に自己改革する必要性がある。このためには中国共産党が本質的な政治的方向転換を行って、(ただしこれは必ずしも民主化を意味しないが)、より開かれて多元的になることが必須となる。この方法の成果は、経済改革を続行することにより、より深くまた広い範囲に繁栄をもたらして、継続して支配する執権政党としての中国共産党の正当性を維持することである。

第二の選択肢は、中国共産党の安全を優先して党による管理を再び強化することである。この方法の場合は、情報化時代へと敏速に向かう経済が必要とする創造性、イノベーション起業家精神に深刻な損害を生じることを無視して党の路線に対して社会を一層高く服従させる必要がある。両方の解決法のどちらにも内在するリスクがある。党を社会に適合させることには政治的リスクが内在する。社会を党に適合させることには経済的、社会的リスクが内在する。

習近平政権の下で、中国共産党は明らかに第二の路線を選択した。Jeff Baderが最近論じたように、党の規律は強化され、あらゆる種類の批判が抑圧され、思想の政府に対する服従が強制され、政府は現代化の次に段階に向かう難しい移行のために経済を一層管理しようとしている。果たしてこの転換が、少なくとも指揮系統の明確化と政策の一貫性を確立することを目的として党内の同意を得てなされた選択だったのか、それともますます党の上に立つ権威主義的指導者の出現を反映しているのかはまだ完全には明確ではない。いずれにせよ、市民社会の抑圧と党による指導への回帰はほぼ確実に顕著な経済的損害をもたらし、繁栄を永続的に拡大させる中国共産党という党の正当性の鍵となる柱を弱めさせるであろう。

経済という柱が弱められのなら、その分残る柱が強化されなければならない。Susan Shirkが論じたように、中国共産党が社会を党に服従させることは可能だとしても、すでに破産した自らのイデオロギーに対する幅広い信仰を回復させることはもはや無理だ。したがって毛沢東の時代のように社会で一つのイデオロギー的信仰を共有した時代に戻ることはない。

となれば中国共産党にとって残された唯一の正当性の柱がナショナリズムだ。中国共産党はここ何十年間かナショナリズムを成功裏に養い、そこから自らの正当性を引き出してきたと同時に、ナショナリズムに対する一種の共鳴効果として強気の外交的対応を行うことに囚われてしまっている。国内の不安定性のために、外交において弱く見えてはならないのである。それは衰退して天命を失った清朝との比較を何としても避けるためでもある。

以上のことから次のことが予言でき、また実際にすでに目の前で起きていることであるが、ここしばらく中国はよりナショナリスティックになり、より排外主義的、そしておそらくは外交的案件に関してはより独断的になることである(中国の外交の一層の独断化に関してはYan XuetongとZhangを参照)。中国の安全保障上の案件はより一層中国共産党自身の不安定性に駆られることになるであろう。これは現在、中国に対する外部の脅威がほとんどなく、過去200年で国際的に中国はもっとも安全な環境にあることを考えると強烈な皮肉である。